November 17, 2006

股関節・脚引っ張りワーク

先の記事のつづきのようですが、「股関節(というか脚、かな?)引っ張りワーク」の感覚のことを。

片足を持って引っ張る先の「支点」・「ねらい」をいくつか変えてみます。「股関節」に行く前にまず「膝」をねらってみると(受け手の意識も膝に向けてもらうようにしてもらって)膝がspaceとしてひろげられていく感じがします。膝は知らずかなり詰めてしまっているパートだと思うので、じっくり(引っ張る側の)体重を使いながら均等な力で引かれてspaceが拡がる感じを受けると「知ってるようで知らなかった感覚」かもしれません。(ひょっとしたら膝の前に足首からだっていけるかもしれませんね)。そして引っ張っている方の脚の股関節を狙って。これがいちばんオーソドックスというかベーシックなんだろうと思います。
次に、これはかなり「?!」だと思うのですが、もう片方の側の股関節を狙って引っ張ってみます。下腹部、骨盤の中が斜めに引きのばされて緩められるような感じになって「なにこれ?」って笑ってしまうような感じになりました。ストレッチ系の「伸ばされる」感覚と内側の感触の部分とが重なって感じられるような感覚のように思います。
さらに(笑)もうひとつ。今度は「股関節」というより、その脚側のお尻、座骨、骨盤まるごと引っ張るような感じで引っ張ります。これも、「受け手もその意識で受けてみる」という感じだといいかと思いますが、腰そのものがなにか放されるような変わった感覚になります。「膝経由股関節」、「逆股間接」、「股関節・骨盤セット」をひととおり左右やってみると、「腰が抜けてしまったような」感じになって感覚的には「あ、すぐには立てない(笑)」というような感じに近い感覚になる気がします。「立ち方を身体の回路が一瞬忘れてしまっているような」不思議な揺るみかた、力の抜け方の感じ。

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加藤幸子「長江」(新潮社)
    「池辺の棲家」(講談社)
    「ジーンとともに」(新潮社)

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December 24, 2005

泳ぐ背骨・Special版

泳ぐ背骨のpart-2-です。

12/21のワークで。
まず前の記事のように、二人組で尾骨から頭まで背骨を泳がせる感覚をとらえてみて・・・。そしてそのあと同じように、サポート側が「押す-動きを波のようにあいてのからだの内側につたえるような-」のにのっていくように動かす側が動きを中にうけとめていって、というのを互いにやりあって感じてみます。

この日の「発展形」はここから。ワークパートナーだった「ねこみみ」さんのからだの感じに触発されてのアイデア、展開だったと思います。多謝、多謝です。
これまでのものはサポートする側が背骨を触れるポイントが一点だったのですが、今度は一度に触れるポイントを二点にしてみて、その二カ所を同時に動かして背骨を泳がせてみます。二点から動きをからだの中に伝えてもらって。これは「!」という感じで、一点のときよりもひとつひとつの背骨のあいだが伸ばされひろげられ捻ったり、という感覚がダイナミックに感じられます。一点のときや、ひとりで動かしているときには思いもかけないような動きの感覚になったりします。触れている場所の距離、位置、振幅をいろいろかえてみて。ひとしきり終えて手をはなしてもらってみても活元運動のようにうごきがつながって続いたり。ほとんど「からだの調整」になっているような、不思議な感覚です。

もうひとつ、発展形のその2、これも「!」です。二点で、サポート側が動きの波を相手に伝えるというのはかわらないのですが、動くほうの側はできるだけ背骨をサポート側のひとの手にあずけます。支えつつうごかしてくれる相手のふたつの掌に背骨そのものをあずけてうごかされるまま、泳がされるままになって感覚を味わってみます。できるだけまかせて・・。これも不思議な味わったことのないような(腕や脚を脱力してあずけるのともまた全然違った)感覚です。不思議な、でも安らぐような(揺られる船になったような?)感覚では?と思います。

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January 24, 2005

1/21WORK

1/21の「からだの作業場」ワークから。参加者は常連のねこみみさん、初参加のきょうさん、国江の面々でした。

きょうさん、初めてだったので、まずは受け手がうつ伏せになっての、二人組ボディ・パーカッション。声を出すこと、身体に触れ-触れられ、叩く-叩かれることで、具体的な感覚を持ちやすいと思って。
そのなかで生まれてきたイメージをひとつ。「背中の皮膚から背骨がぶら下がっている」ような感覚。背中の皮膚をテントに見立てたら、その天井から糸で背骨が(ということは背骨は梁ではないのですが)ぶら下げられているというような。どうしても自分も含めて背骨を背中に張り付けてしまいやすいような気がします。うつ伏せで背骨も重力にあずけたら、背骨は体内の海のなかをすこし沈んでいくんじゃないか(で、きっと振動で揺れもするのでは?)というのがイメージの始まり。そのバリエーションです。

次も背骨系。正座して頭の重さを感じながら、それによって、頸椎から背骨がひとつひとつ重さに引っ張られて傾いていく・・・。背骨に両サイドがあることをとらえてみたら、左に傾いていくときは椎骨のあいだの間接の右側の方がストレッチされ引っ張られていくはず。そんな感じを意識してみて。実際「真横」に曲げていくのは構造上きびしいのかもしれません、けっこうつらい(笑)。本当は少し前のほうがいいのかも。でも左右をやってみると自分が真っ直ぐだと思っていても左右の間の感覚的な違いや差のようなものを実感します。ねじれみたいなものとかも・・。左右だけでなく「前」に落とすというのもありますね。これも気持ちいい。頭の重さ感は左右よりクリアかもしれません。左右にしても前にしても背骨は傾いていくけれど、骨盤は重力方向をキープしているとストレッチ感が実感できます。

またしても背骨系(笑)。というか自分にとっての隠れテーマがそうだったのですね。今度はもっとシンプル。正座して頭の方から背骨を動かしていき徐々にその動きを腰椎、腰までつなげていくというもの。「下=腰」からだと勢いやうねりをつかってできやすいのですが、「上」からだと椎骨をひとつずつ積み上がった積み木のように感じられる状態をつくりながらでないと動きをつなげていくことができない。これも感覚的には面白いです。普通に直立している状態でも、微妙にどこか固めて調整をいれていて、背骨を背骨自体でちゃんと「受けて」いる状態になっていないんですね(いやいや、私は、ですが)。自分ではこの作業のあと、背骨が背骨自身を受けている感覚や、つながった背骨の質量のようなものを感じるような気がします。

次は立ち技(?)。両足を肩幅くらいに開いて前屈します。その状態から自分で両足をとおして地面に(重さとして、かな)繋がっていると実感がもてるところへそれぞれ調整します。自分の場合は普通に前屈するとかなり前につんのめった状態になります。そこからいちど感覚を探って自己調整。その状態がみえたら、そこから状態を左右に揺らせて振ります、ぶらぶらと。これも意識しないと、自分の場合は身体が向かう方向と逆の足もつられて浮いてしまったりするのですが、つられないように(とはいえ、固めてキープするのではなしに)意識します。軸足(胴体が向かう側の脚)を座骨からとらえて「支える」感じになって(とはいえ力まずに、)もう片側の脚の座骨との「距離が筋肉の網が拡がるように伸びていく」ような感じで、というのかしら。実際に骨格上の座骨間の距離が拡がるわけではないのですが感覚的には「伸びていく」に近いように思います。なにも意識しないでからだを揺らしたときにくらべて「ここにいる」実感とでもいうような感覚がはっきりします。結構、「ホント?」というくらい、違います。かかとから座骨までの皮膚を、「張力のあるひろいおおきな一枚のつながったもの」とイメージするとつかみやすそう。単純に脚の裏側のストレッチにもなります(笑)。

そして最後は、足踏みマッサージを。という2.5時間でした。


 読んだもの/読んでいるもの

山中康裕「老いの魂学(ソウロロギー)」(筑摩学芸文庫)
 最近連続して読んでいる山中さん(精神科医)の本です。老人慢性病棟での臨床経験などからの「いのち」、「魂」の見つめ直し、とりもどすことへのことば。どんなことが「人」のエネルギー(いきることへのあかるさ、のようななにか)を動かし流れさせるのかということを思います。

ロン・クルツ「ハコミ・メソッド」(春秋社)
 カウンセリング・スタイル(?)「ハコミ」についての、基礎的な考え方、アプローチ方などを書いています。私は「ハコミ」というのをこの本で初めて知りましたが、クライエントの「今」のあらわれを「からだ」にあらわれてくることを中心にどう見てとらえてアプローチしていくか、という部分で興味もあります。すこし「アメリカ」だなあ、というような感じも。「実験」というアプローチ(詳しくは本を・・)も私には微妙ですが・・。

リチャード・ゴードン「クォンタム・タッチ」(Voice)
 クォンタム・タッチという手技エネルギー療法についての本です。

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January 08, 2005

「脳の脱力」(1/7WORK)

今年初めての「からだの作業場」ワークです。参加者は常連中国武術さんと踊り、演劇をやってらっしゃる佐々木さん。そして国江です。

二人組で、お互いの骨格を触れて形を意識させてあげることから。眼窩、顎、乳様突起(耳の後ろのでっぱり)頸椎、肩胛帯(鎖骨、肩胛骨、上腕)背骨を降りてきて腸骨、仙骨、座骨まで。途中で鎖骨と肩胛骨両方触れてあげてる状態で肩を持ち上げてから力を抜いて落としてもらう。腕の骨格構造を感じてもらう。

次に、正座の状態で頭の重さを利用して(頭を傾けるとこから始めて)背骨を左右、前に一個ずつ力を抜いて引っ張られるように傾けていく。くねくね動く細かいパーツに別れた蛇のおもちゃのように椎骨の一つ一つが別れているイメージを持てば、左に傾けられていくときは椎骨と椎骨の間の間接の右がわが伸ばされストレッチされていくはず。逆もまたしかり。やってみると静かな運動?のわりに「効き」ます、で左右の感覚がかなり違っていたりする。左右差、ねじれなど感じられるかもしれません。

次は難題?のチューニング。相手の身体に触れ、相手の身体から感じられる「波」(呼吸や血流などで生まれている、皮膚をとおして感じられる律動感のようなもの)と自分側の「波」とが感覚的に重なっていく、混ざっていく、皮膚をとおして双方の波がつながった「やりとり」に感じられるところを「聴いて」みるというような。「自分の手どうし」、「自分の手と足」でだったら波の混ざる感覚は割とつかめそうな感じがします。他のひとの皮膚をとおしてでもそれを感じられるような気がするときもあります。言葉で説明しずらく上手く行かないのですが・・・。決して圧さず、皮膚を合わせるだけで、しだいに皮膚で感じるのではなく「間に皮膚はない」ようなイメージに感覚を寄せていって・・・。

次がメインの「重さの探検」。二人組で一人が仰向けで脚や腕を相手に持ってもらい力を抜いて重さを感じつつ、相手に預けていきます。これは今までもよくやっていたのですが今回は受け手のアプローチを変えて「自分の力を抜こう」というアプローチではなく「持ってくれているパートナーの掌を一番ちゃんと感じられるように」というアプローチで受けてみるという感じで。実は想像してみればなるほど、ですが、力を抜いて相手にゆだねてあれば、相手の持ってくれている掌の接触感を「やわらかく、しっかり重なって、少し深さも内包してあるような」ものとして感じられるのではないかしらと。「自分からの自分のからだの脱力」というよりも下手したら(?)実感があり、つかみやすいかもしれません。意識が「自分」だけに向かず「相手」や「鉛直」にも自然向く、ということは受け入れようとして自分をシフトしてみないと変化できないということで、「力を抜こう」というアプローチよりも「つながり実感」のようなものを媒介にするからかもしれません。もちろんサポート役も大切で、受け手が「手」を受け入れやすく感じられるために自分のほうの持ち方をいろいろ観察しないとならないということも。サポート役にとっても「鉛直」や「相手の質感を一番感じられるには?」ということをとらえ続けるアプローチがつづきます。相互ですね。

実はあたまを預けるのは人によっては(私も)難しくどうしても頭か、首かをどこかでブロックしてたりしやすいものです。でイメージひとつ。頭蓋骨のなかで「脳を脱力させてみる」です(笑)。

自分にはこれは有効です(笑)。中国武術さんもそのとき一言「頭って本当の大きさの割に、もっと大きく感じてるものだよね」と。そうそう、それは私も感じます。国江実感的には、「脳の脱力」をイメージするとそのときはふっと頭蓋骨本来の大きさ、容積の中に意識、あたまがコンパクトに「おさまって」静かな感じになるような気がします。脳が頭蓋骨のなかで冷んやり静かに呼吸しているような、脳自体の重さも感じられるような(イメージだけかもしれませんが)そんな感じが起きてきます。


:読んだもの・読んでいるもの
山中康裕著「臨床ユング心理学入門」(PHP新書)
ユング心理学入門でもありますが、それよりも山中康裕さん本人の精神科医、臨床心理士としての考え方、立場、臨床姿勢を丁寧に説いた本でもあります。「からだ」を考えるひとにも響くはずの、臨床から育まれたことばたち。

同じく山中康裕著「少年期の心」(中公新書)
1978年初版の、子供たちの臨床記録。子供達の治療記録であるけれども、それは山中さん自身が子供達との関わりのなかで子供の生きる力にきづかされていく過程でもあり、「治療」ってなあに?ということを考えさせるものでもあります。

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September 27, 2004

9/24WORK「Tapping Touch」

9/24の「からだの作業場」ワークは、「タッピング・タッチ」というものを中心にやってみました。

職場近くに出来た話題の「丸の内oazo」の丸善本店(図書館のような気配の大書店)で偶然「ピン」ときて手にした本がきっかけでした。
手指のもっている「触れる」「触れられる」感覚、感触をいろいろあれこれ考えていたとき、また神田橋條治さんの「精神科養生のコツ」のなかの「指タッピング」が気になっていたときだったので、「タッピング・タッチ」という書名に引っ張られたのでしょう。

中川一郎著「タッピング・タッチ こころ・体・地球のためのホリスティック・ケア」(朱鷺書房刊)です。

中川さんは臨床心理学者の方で、現在は三重を中心に活動されているようです。

本を手にとってみてひかれたのは、やっている様子の写真です。ときおりあるこのようなボディワーク、リラクセーション系の本の紹介写真にありがちな「いかにも明るく微笑んで」いたり、「なぜか神妙そう」だったり、「不自然にレオタード姿」だったりということがなくて単純に空気が明るいのです。シンプル、シンプル。これはどんなものだろうと気になります。

ということで、とりあえず、未体験のものですが、本の説明をたよりに見よう見まねで、ワークに参加してくれた人たちと一緒にやってみました。

参加者は常連の中国武術さんと、ダンサー・パフォーマーの村田さん、と私です。基本的には二人組でやるのがベーシックなスタイルのようなので、まずお二人に組んでもらって、私は本を見ながら、サポート、進め方のサジェスチョンに。

基本的には単純です。(詳しくは本をごらんください)中川さんは「グルーミング」(毛づくろいに限定されない『ケア』としての)になぞらえています。すごく略してしていってしまえば、「パートナーの背中を中心に頭や腰、肩等々を指先のはらの部分で軽く弾ませるようにタッピングする」というだけ(笑)。いわゆる難しそうな「技法」的なことはほとんどなくて、「気」みたいなこと云々というのもありません。肩胛骨の間から背骨を中心に左右交互・対称に徐々にタッピングして腰まで降りてきて、また上がって、頭、首、肩・・・とやって、あとはご希望の所をやって、また肩に戻っておわり、です(すっ飛ばして順番としていうと・・・)。そのなかで大切なことは「一秒に左右一回ずつ」くらいのリズムであること、これはゆったりと落ち着いているときの心拍のリズムだそうです。また、「相手に気(エネルギー)や念をおくったりしようとしないこと」「相手をどうにかしようと思わないこと」そして、「ただ軽やかにタッピングする、心地よくタッチする」ということ。そして「マッサージにならないように」ということ・・・。

まず、中国武術さんが「してもらう側」村田さんが「タッピング」する側で。最初なので、うまく感じがつかめなさそうな様子。と、いっても自分もやったことがなくてこれから初めてやるものなので、見ながら考えてのサジェスチョン。タッピングする側が腕、手首の力が緊張して抜けないと、その「硬さ」は相手に伝わってしまう。そしてそれが余計硬さを・・・というような気配が少し。触れられる感触に敏感な中国武術さんの「左右で強さが変わってしまうのがちょっと・・・」という指摘。均等な感じで叩くのも難しいもの。(打楽器を打つことを思ってみればわかるはず)村田さんはどうしても「下から上に向かって」タッピングしてしまう傾向があって、中国武術さん曰く、「逆毛になでられてるみたいで気持ち悪いかも」とのこと。たしかに見てると下から「つんつん」突き上げてるように見えて(笑)妙。そうならないように、そうならないように、と気にしすぎると、「注意力張りモード」みたいになって、余計なんだろう、どうしよう、と言う感じになって、空気が「明るく」ならない。そこで本の写真達の明るい様子を思い出して、「こんな感じなのよ」と見てもらう(笑)。わかっちゃいるけど、そう上手くは、初めてだし、ということで役割交替。

今度は村田さん「してもらう側」、武術さん「タッピング」で。武術さんは先に自分がしてもらったので、少し慣れているせいか、先の村田さんほどの「迷ってる」様子はなく、自分がやってもらっていたときの感触とのあいだでフィードバックをさせてみている感じ。それは「あとからやる側」のほうが情報持ってるぶんだけ強いわけです。さっきよりはスムーズ。でも、村田さんも、武術さんも、次第にタッピングの間合いが速くなっていく(笑)。「ゆっくりマーチ」みたいな。「一秒に左右で一回ずつ」という感じで「数えて」(時間を定規ではかるみたいに)やることじたいが、ある意味「不自然」な気持ち悪さ、おちつかなさを増やしてる気がする。

武術さんに、「一秒で数えるんじゃなくて、自分の心臓のリズムをとらえて、それにのせてやればいいんだよ、きっと」と言ってみる。不思議にそれだけで、その一瞬で様子が変わる(笑)。タッピングしながら実際に自分の心臓の打つのが「聞こえる」わけではないのだけど、感覚的に「心臓のリズム」のほうに気持ちを寄せてみると、なんとなく人はそれをからだのなかを通してる(どこか律している?)波のようなものとして感じ、重ねられるチャンネルがあるのだと思う。武術さんに「分かってるなら先に言ってよ(笑)」のように言われたのだけど、これは見ていて分かってくる「カン」のようなもの。ほんとはこういう「カン」がそれぞれ同士のあいだに行き交うようになれば面白いワークの空間になっていくはずなのだけど。

役割かわって、国江が「タッピング」、村田さん「してもらう側」で。これは最後にやる方も少し、楽なくじを引く。見てるから。とはいえ、やはり難しい。本のように「軽く弾むように」というつもりでやると、「変に叩いてる」ような感じのタッピングになってしまう。弾ませるのを人為的にやってるような感じになってしまう。きっとこれはちがいそう。試しに、「弾んでる」感覚を指を跳ね上げてしまうことなしに作れるかな、と試してみると、指が相手に触れた瞬間に指のなかの力を抜いて、手首の力も抜いてみると、触れた瞬間に、中でタッピングの力が弾む感じになるのを発見。いいかもしれない。受ける側の村田さんも慣れてきたのか、「気持ちいいかも」というような感想がでてくる。

そこで、もいちど最初の組み合わせに。村田さん「タッピング」、武術さん「受け手側」で。これは受けた武術さんも、見てる私も、してる村田さんも三人驚いたのですが、「さっきと全然違う!!!」と。

やってみること、そして、受けてみること。本当に、「別の組なんじゃないの?」というくらい変わっていて、三人とも目をみはる。「タッピングの仕方」(力の抜けかた、テンポe.t.c.)とか「受け方」というだけでなく、そこに座ってる二人の空気が違う。「母・村田」みたいな(?)しっとり落ち着いているタッピングする気配がありました。村田さんいわく、「子守歌のリズムね〜」と。そうかもしれない、と。なにか納得でした。

 ホリスティック心理教育研究所・くまの元気広場(中川一郎)

 中川一郎著「タッピング・タッチ」(朱鷺書房刊)
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July 31, 2004

7/30WORK

7/30ワーク、です。といっても、二人だけです。常連の中国武術さんと私。この二人の時はお互いの、からだに対する関心を自然、交換、やりとりするような感じになります。私の最近のからだに対する関心・興味と、彼の武術・人との関わり合いの空間のからだへの関心と。

彼の最近障害を持った人たちとのダンスワークショップに参加した際に感じたことからの話につながって、「ムーブメントや力、動きのやりとりにとどまらないコンタクト・ダンスってなんだろうね」、とか、いろいろ・・。

以下、私がわからの今日の発見日誌のようなものです。

仰向けに横になり、いわゆる「力を抜いて・・・」という姿勢?になります。でも、「力はただ抜ける」とは限らないので(笑)、実はどこかに意識をフォーカスしてそこをゆるめたり、逆に、「フォーカスしているところ以外のところを捨てる」ようにして力を抜いたりしようとします。(もちろん力を入れてから抜く、といった感じで物理的に抜いていくのもあります)

自分の場合は、ゆるめたいところに意識をフォーカスするというように今までやってみることが多かったのですが、そうするとどうしても頭部、首が「残る」ので、まず、頭の皮膚をゆるめたり、「脳が心臓みたいにゆるやかに脈動している」というようなイメージをもって頭をゆるめて、でも、意識は頭からはずさずに、からだのほかの部分はただ放して置いておくような感じでをしてみました。実際に頭の中から首にかけて中が揺れているような感覚になります。またパート、パートにフォーカスしていくよりもからだ全体の重さ感は感じられるようで面白かったです。

そのうえで、体の皮膚を、ぴったり包むボディスーツみたいなものではなくて「風呂敷」みたいなもののようにイメージして、それを胸のあたりからひらっ、ひらっと「開いて」みると。胸から肩にかけてふっと、落ちます。

もうひとつ面白かったこと。これは最近中井久夫さんや神田橋條治さん、村瀬嘉代子さんの本などを読んで気になっているせいもあるのですが、「隣にいる空気のようにいる感じ」(相手や自分に入ってしまうのではなく、そこに流れているようにいるいかた?かしら)でパートナーに触れている(マッサージしようとか、ゆるめようといったことも思わずに、ただ触れている)と、ポイントが合うと、自然にこちらの手が少し動きだしている感じになります。(押したり、筋肉をのばしたりというのではなく、さすっている、に近かったですが)またその流れで中国武術さんの丹田・下腹付近を触れていたとき、自分の手だけではなくからだも揺れだして動いていました。(動かそうとしていないのに)「相互活元」みたいなものかなあと思いますが、よくわからないのですが。彼も「丹田が動いている感じがした」といっていたので、なにかお互いのあいだでおきてたんでしょうね。

「隣にいる空気のようにいる感じ」はなんとなく、「肋骨の間(イメージ的には心臓の辺り??)から水平に拡がっていく面をとって、同時にお腹周りのなかに自分がおさまっておりていて、でも同時に波にまかせてもいるような」感じでやってみたら、今日はなんとなく「こんなかな・・・」という感じになりました。

不思議な感覚体験でした。中国武術さんに感謝です。

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July 02, 2004

6/30WORK 「はこばれあたま」

6/30の「からだの作業場」ワーク。参加者は踊り手の御之道さんと、佐々木さん。あとは国江の三人でした。
そのなかからおもしろかったものをひとつ。

あたまというのは実はかなり重量があるものですが、普段はあまりそういう意識はしていません。それを少し感じてみようということで、「あたまをはこぶ、はこばれる」というのをやってみました。

二人組で、まず一人があたまを重さにゆだねるようなつもりで横に傾け、パートナーのほうがそれを支えます。支えられる側は自分のあたまの重さを相手に、重力にゆだねる、あずけるような感覚で。支える側の人は相手のあたまを掌で受けて、落ち着いたら相手のあたまを大事にはこぶように歩いてみます。支えられる側の人はその歩みに一緒について、はこばれていきます。
ただ歩くだけではなくて、ささえる側のひとはゆっくり軽くしゃがんでみたり向きをかえてみたり、ゆっくり空間のなかを相手をはこんであげる感じで。

最初は御之道さん「支え側」、国江「はこばれ側」で。「あんまり重くないよ」と御之道さんのコメント。「はこばれ側」のほうが力を抜いているつもりでも、うまく抜けていないというのがわかります。役割・パートナーチェンジで、佐々木さん「はこばれ側」、国江「支え側」で。佐々木さんのサジェスチョン、「頭部だけを支えてもらうより、首の上部(耳の下あたり)も支えてもらった方が力をゆるめやすいみたい」とのこと。やってみると確かにそのほうが抜きやすい。
見ているとかなり不思議な、でも、スムーズにいくと、とても穏やかな気配がながれる空気が生まれます。「注意の気配」が空間の空気を作り出して密度を流していく、というのがよくわかります。
「これ、振り付けにつかってもおもしろいかも」と、邪心(?)が生まれ、ブレーキ、ブレーキ。(笑)ここはそういうつもりの会じゃないと・・・。
「はこばれる側」は緊張しないようにするとなんとなく自然に目が閉じてしまう。その状態で空間をはこばれるのは不思議な、心地よさをともないます。

支える側、支えられる側共に、自分の状態をいろいろ感覚観察してみると、いろいろ気づく、みえてくるところあります。
支える側の肩、肘、腕のちからが抜けているか、とか、持ち上げるように支えているのか、掌で受け止めるように支え持っているのか、自分はどう持っているのか、変えてみたらどう変わるか・・・、といったようなこと。力を抜いたのは支え側なのに、その瞬間に相手のあたまがふっと、とても重く感じられたりします。
支えられる側も、たとえば頭と首の、支えてもらっている方の面(左傾きなら左、下面)だけでなく、上側も相手に、重さにゆだねる、あずけてしまう感じにしてみるとか・・・。触れられている、支えられている側の面はあずけようとしているけれど、逆サイド(?)は知らずキープしていたりということもあります。それを抜いて、そちら側「から」あずけようとしてみると、決して体重をかけようとしているわけではないのに、あたまだけではなくからだ全体があたまの導かれるほうに流れ落ちていくように連れられていくという感じになったりします。

あとから思ってみると、歩くのではなくて、位置を移動しないままで、すこし大胆にあたまを空間のなかを泳がせるように動かしあってみる、というのもあるかなと考えます。うまくいくと、おもしろい感じがうまれそうですね。

atamahakobi.jpg

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June 21, 2004

6/18 WORK

6/18からだの作業場ワークです。

恥骨と左右の足をはっきり分けて、意識して動いてみる。ローリングしてみたり、いろいろ。
恥骨を内圧でしっかり感じるように、という感覚なのかなと思います。足の付け根だけでなく膝までしっかりとらえられると、恥骨感覚ははっきりするのかなと思います。

自分では、そうすると、動くことがはっきりする、意志的になってくるというか、からだからつながってどこかへ向かっているベクトルがはっきりしてくるような感覚があります。

参加者の「ねこみみ」さんのサジェスチョンでの、「仙腸間接を動かす」のが実は一番の大ヒット。
仙腸間接(骨盤の腰骨部・・腸骨と、背骨部・・仙骨をジョイントしている部分)は一般的にはくっつくことによって骨盤を形成していることになっているけど、実はすこし動くのだそうです。感覚的なことでいったらそこを動かして振り子を揺らすように動きを生んでいくことも体感的には不自然ではないように感じます。

ワークの間に正座をして、仙腸間接にしっかり降りてのっている感覚をつくると、呼吸も入るし、腸や胃は動き出して鳴るし、心地よかったです。

もうひとつヒットだったのは「呼吸のなかに身を置く」というもの。呼吸はからだのなかの機能なのではなくて外側と中側のあいだで起きている波のようなもの・・・、ととらえてみて、その呼吸の波のなかに自分の身を置いてみるという感じかと。自分の体が先か、呼吸という「つないでいる空間回路運動」が先か?というところで、後者の方が先というふうに、感覚的に設定してみるということでしょうか。これはとても呼吸が楽にひろがる感じがあります。

「感覚遊び集」みたいになってきましたが・・、是非遊んでみてください。

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June 13, 2004

6/11WORK

6/11の「からだの作業場」ワーク。

参加者4名常連さん。
本当はいろいろ「重さを気づく=自分が相手を信頼して自分をあずけられるか?」といったことや「地面や床に乗っている感覚」等をやってみようと思っていたのだけど、あまりに自分を含め皆疲れた??からだをもってきてたので自然に二人組でのゆるめ合いになってしまいました。

踊り手さんの活元ベーシックさん、気流法ベーシックさん、中国武術さんなどなどすこしづつチャンネルがみな違うので、やりかた、でてくること、自然に選ぶことがそれぞれで面白い。「感覚に聴きつつ導かれていくのは、基本的にはからだが求める方に行く」ということを受け入れているひとたちの組み合わせだったので、方向はいろいろでもまかせて安心という感じでした。

わたしは踊り手活元ベーシックのnacoさんと組み。彼女はどんどんパートを変えながらいろいろなところをさすっていくのだけど、手がそこで動いているうちはそうでもないのですが、他の部位に移ってから、それまでさすってもらっていたところが気づくとすっと中が抜けていって床に降りていくような感じで不思議でした。こういうアプローチでこうなったのは始めてかも。面白かった。

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