大阪に一泊二日で行って来ました。物心つく前に少しの間住んでいたことがあるらしいのだけど、全く覚えていないので、初めて(?)の大阪。9月に予定して動き出している公演の会場、大阪造形センターの中にあるフリースペース「カラビンカ」を見に、です。大阪在住の踊り手、宮下倫彦さんが東京の数人の踊り手に声をかけての企画です。
大阪駅、梅田駅から徒歩すぐの場所で、隣を高架の電車が走るので、ビルの反射もあるのでしょう、不思議な音感で電車の音が風のように入り込んできます。場内は黒色で、中央が凹んだ台形という妙なつくりのスペース。以前ビデオをみて想像していたのより「硬さ」のないような空間。
駅の中や路上を歩いていて「からだが慣れない」というか「?!」という感触だったのは、歩いている人たちの「間の詰まり方(?)」というか「歩いているからだどうしのあいだの距離感覚」が近いというか詰まっているような感じだったこと。人波の質が違うのです。歩く速さが速いというのとはまた違うのですが。人が多いというのとも違う、人波を歩く速さと人の絡み方の距離感の質なんだと思います。こちらの体に入っている感覚で人波の流れにのろうとするとなぜかぶつかりそうになってしまう・・・。
「急いで歩いて登るひとのためにエスカレーターのどちら側を空けておくか」というのも違いました。東京では左に立って右を空けるのが暗黙の了解(?)になっていると思うのだけれど、大阪では左を空けておくのだそうです。阪急電車の小豆色の車体も絶対東京の私鉄はしないよなあ、という色あいで・・。
二日目はこちらも初めての神戸に。本で読んでいたパルモア病院(以前記事にもかいたことがありますが)に行ってみたくて。元町駅からすぐ、坂をのぼったところ、なんと幼稚園の向かいに建っていました。もっと大病院のようなイメージで想像していたのですが病院らしからぬ(四面の角ばった棟のような病院の気配からは遠く)威圧感のないたたずまいでした。つくられた方の思い、ありかたというのはきっとこういうところにもあらわれているのだなと。
病院の前に、赤ちゃんを抱く母親や腕に幼児をぶら下げている父親の彫刻があり、玄関のうちには頭を下にした赤ちゃん(ということは胎児?)の像がしずかにあって。人の気持ちと空気を「まとめて」(うまい言い方がないのですが)いるように感じました。
あるくと町なかに華僑の教会、ムスリムのモスク、シナゴーグ、ジャイナ教寺院、が違和感無く家並みに混ざり、山が間近に町につづいて。町を歩いていても(観光の人もいるせいか)大阪で感じたような「人波の歩みの感覚」は神戸では感じず、でした。電車で30〜40分くらいの距離なのに・・・。
読んだもの
「語りかける身体-看護ケアの現象学-」西村ユミ著(ゆみる出版)
「植物状態」とされる患者さんとの「あいだ」で看護婦たちが感じている「つながり」の実感のこと・・。相互のベクトルと感じられる「なにか」のこと。

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